仙人講座/第17期 (平成19年度)

■第1回講座  平成19年7月26日 遊学館

基調講演 
「自分らしく生きる」
日テレ学院学院長 石川 牧子さん

 「自分らしく生きる」と題し基調講演を行った石川牧子氏は鶴岡市出身で、日本テレビのアナウンサーとしてアフガニスタン女性難民の取材に西側で初めて成功するなど約30年間、数多くのニュース、クイズなどテレビ番組のキャスターを務めました。現在は日テレ学院学院長としてアナウンサー、シナリオライターなど放送関係を志す後進の指導、養成とともに、『緑のハイヒール』や『言葉って、生きているから面白い』などの著書も書くなど、多方面で活躍中です。
  アナウンサーという仕事は人に会うこと、そして人に伝えること。経験を通じて思うことは、素晴らしいと思える人は間違いなく自分の人生を頭で考えているということでした。オリンピックでいくつもメダルを取ったアメリカの陸上選手カール・ルイスに「ナンバーワンになるためにどういうことをしているのか」とインタビューした時、「ナンバーワンになろうと思う心を持つことだ」という答えでした。一度きりの人生を自分らしく生きるためには、自分に目を向けて自分で考えることだというわけです。

  2004年、5人の仲間と「医療の進歩と個人の尊厳」という論文を発表しました。その中で、介護における会話の効用について担当し、おしゃべりなど会話のできる環境にある老人は歳をとらないことが分かりました。また、会話は大脳の働きに効用があるとも付け加えました。シニアも地域社会の一員であることを忘れず、まわりの人に積極的に声をかけながら自分らしく生きることが大切です。

 石川氏は、学院でシニアクラスを設けたところ、年長の生徒さんから程よい緊張感を受け新たな自信につながり、高齢者になっても人生はけっして遅くないということを気づかされたと言います。 会場の受講生達に向かって「死ぬまで生きてください。人生に遅いということはありません。そこのお父さん、あなたも今からアナウンサーになれますよ」と、軽妙な励ましの言葉をかけ講演を締めくくりました。

実践講座 
「ことばの力」
フリーアナウンサー 古池 常泰氏

 実践講座にはフリーアナウンサーの古池常泰氏が「ことばの力」と題し、言い方一つで良くも悪くもなることばの不思議な力について講演しました。

 「話す」とは「離す」こと。思っていることを口に出して体から離すこと。だから心とことばがしっかりと一体になっていないと、心ないことばが口をついてしまいます。ことばは消しゴムが利きません。だから、ひと息入れてよく考えてから話をしましょうと、ことばが武器になることもあることを前置きしました。

 その後は愉快な話が満載。「一に盆栽、二に掛け軸、三に餓鬼」という例えは、玄関に入ったら盆栽をほめ、部屋に通されたら掛け軸をほめ、それでもダメだったら子どもをほめろ、という意味の話。通知表の例では子どもが「これ見て」と言ったら、そのことばの裏には「ほめて」と言っていることが隠れているから「よくやったわね」とほめてあげよう。そうすれば、子どもは笑顔で喜びますという話など、ことばには一つも道具はいらないというわけです。

 さらに、あるファーストフード店の「3秒間の恍惚」というマニュアル。「いらっしゃいませ」と言ってお客の注文を受けて笑顔で「ありがとうございます」と言ってから3秒以内に「こちらもいかがですか」とすすめると、お客の半分以上からは追加注文が取れるというもの。“笑顔でありがとう”がお客を気分良くさせるのだそうです。

 昔から「話し上手は聞き上手」とはよく言われます。相づちを打たれると魅力的な人に思えてもっと話したくなるように、ちょっとした問い直しが話をどんどんふくらませていってくれます。

 古池氏は、家族や会社、学校など会話の場面を一人芝居のように演じながら話し、会場を大いに和ませました。若者ことばでは、「またんご!私 ゲーセンにはまりんぐで 財布ピーになっちゃって うみそとの予約を キヨブタでドタキャンして もう 関取でミスドのコドッキーなわけ!」と、『頭の体操』で有名な多湖輝氏が集めた創作を紹介、爆笑を誘いました。

 最後に、『千の風になって』の詩を朗読、受講生も唱和して感動に包まれながら講演を終えました。

■第2回講座  平成19年8月24日(金) 遊学館

 基調講演 
「おいしゅうございます」
食生活ジャーナリスト 岸 朝子さん

 テレビ番組・料理の鉄人で評判になった「おいしゅうございます」という言葉をタイトルに基調講演をした岸朝子さんは、現在84歳。主婦の友社の料理記者をスタートに、女子栄養大学出版部で『栄養と料理』の編集長を10年間勤め、その後食に関する様々な分野で活躍、『東京五つ星の手みやげ』など著書も多数出版しています。

 岸さんは「水のおいしい所は幸せな所だと思う。水分をよく取ることが血液を純化し、体を健康にする基本である」と話しました。

 「命は食にあり」と言われるように、食べることは命の支えです。若い頃に栄養学と料理実習を学んだことは、氏にとってそのまま現在の食生活になっていると言います。当時学んだ栄養学に、4つの食品群からなる食生活の基本というのがあります。

 第1群は、卵と牛乳。どちらも動物の命を支えるもので、タンパク質やミネラル、特にビタミンB2は成長促進によい。第2群は、魚や大豆類のタンパク質源です。昔、中国では毛髪を血余と言ったくらいで、タンパク質源は体をつくり、修復する力もあります。これら3群までは、生きていくために必要なものばかりです。ところが、これらだけ食べていればいいというわけでは当然ありません。そこで第4群は、エネルギー源の穀類で、主食になるものです。日本人にとってはお米。良質タンパク質のアミノ酸がたくさんあります。また、そのお米からできるお酒もこの群です。酒類は心の栄養になっても、やはり飲み過ぎてはよくありません。今日、若者の食生活は乱れているとよく言われます。食育基本法ができましたが、食べることにまで国の法律ができてしまいました。成人病が増えたことも一因です。忘れてならないことは、日本の食生活を守ることが健康につながり、食べることも心を育む、ということです。若い時から育児と仕事を両立して、84歳の今日まで「おいしく食べて健康長寿を」というキャッチフレーズを心掛けてきました。そんな岸氏の説得力のある講演を、受講生達は憧れるようなまなざしで聴き入っていました。

|実践講座 
「いのちの教育~子どもたちに伝える大切なこと~」
山形県教育庁いのちの教育講師 山川 喜市氏

 実践講座は、酪農家で山形県教育庁いのちの教育講師でもある山川喜市氏が「いのちの教育~子どもたちに伝える大切なこと~」と題し行いました。

 現在、牧場主としていのちの大切さを伝えるために、酪農教育ファームとしての認証を得て不登校や小中学校の子どもたちの体験学習を中心に活動しています。

 山川氏の牧場は、蔵王の麓のエコーライン沿線にあります。そこへ来る子どもたちに自分のことを「悪い酪農家、山川さん」と言っています。そのわけを子どもたちに次のように言います。「生まれたばかりの仔牛を親から引き離して売っているから。売られるということは殺されるということ。殺されて肉の塊になる。そういう悪いことをしている」。また「酪農をしてよかったことは何ですか」という子どもたちの質問には、「仔牛を高く売った時」と答えます。さらに牛は普通15年位生きるのに現実は4年あまりで肉にされてしまうことについては、「柔らかい肉がいいという消費者ニーズのために、牛は人間によって寿命を決められてしまう」と答えます。
  子どもたちがファームに来て動物とふれあう体験から学ぶものはたくさんあります。そんな体験学習の後の弁当開きの時でも、「野菜は牛のウンコを堆肥にして作った」とか、「鶏の卵はウンコと同じ穴から産まれる」とか言って教えます。それでも子どもたちはお弁当を全部食べます。それは体験学習による教育的効果です。きちんと目で見て触って覚えたからです。

 次に、それを子どもたちが親に報告すると、そんな大事な子どもの体験を親は真剣に聞いていないということがよくあります。当たり前すぎたり、あまりにもくだらなかったりするからです。子どもの言うことを聞いてあげていなかったのです。これではもう子どもは自分から話そうとはしなくなってしまいます。

 「もっと子どもの声をきちんと受け止め教える必要があります。そうした機会をきっかけにして子どもたちが成長していけるようなシステムや考え方をつくることが大切です」と、山川氏は講演を結びました。途中ビデオが流れ、蔵王マウンテンファームで子どもたちが牛の出産を目の当たりにする体験学習の様子が伝えられました。

■第3回講座  平成19年9月20日(木) 遊学館

基調講演
「日本再生のために何が必要か」
政治評論家 森田 実氏

 政治評論家として著名な森田実氏の基調講演は「日本再生のために何が必要か」と題し行われました。特にご自身のジャーナリストの立場からお話しされました。
 まず、小泉内閣が一度参議院で否決された郵政民営化法案を解散2ヶ月後には衆議院で成立させて国会の立法機関としての存在を否定したことや、1994年来毎年交わされるアメリカ政府の年次改革要望書に対して日本政府が一事が万事のごとく追随していることを、日本のジャーナリズムがまったく報道しないのは重大な問題であると、ジャーナリスト魂をのぞかせる切実な口調で語り始めました。

 ジャーナリズムの使命とは、間違っていることをきちんと国民に伝えることです。現在の日本のジャーナリズムにはその力が失われています。報道がすべて東京に集中化し、どこの報道機関もまったく同じ内容のものを流すという状況です。「皆さん、驚かれるかもしれませんが」と何度も前置きしながら、広い人脈から得た真相がいくつも紹介されました。

 今やグローバリズムの進展により、日本全国の富も情報と同じように東京に集まり、夕張市ばかりでなく多くの地方、自治体を疲弊させています。森田氏は、「人口移動の極めて少ない所を大事にしないと政治は腐敗する」と言い切ります。つまり、東京は人口移動が激しくモラルが成り立たないからです。フリーターの若者がどんどん東京など大都市に集まっています。就労こそモラルの原点のはず。今の政治は自分の生まれた都市で生涯を送りたいという人に就職の機会を与えない異常な事態なのだと言います。

 最後に、「地方に富を分散するしか日本を守っていく道はない。“国家の実力は地方に存する”ということを政治の基本に据えるべきだ。地方の論理、道徳力を国の心棒にすれば、日本はもう一度立ち直ることができる」と、力強い論法で講演を締めくくりました。

実践講座
「シニアのやりくり上手~ハッピーセカンドライフ~」
NPO法人日本ファイナンシャル・プランナーズ協会東北ブロック長 大滝 淳彦氏

 NPO法人日本ファイナンシャル・プランナーズ協会東北ブロック長の大滝淳彦氏による「シニアのやりくり上手~ハッピーセカンドライフ~」と題した実践講座は、数式の思いがけない結果が多くの受講生を魅了する講座となりました。

 アメリカでは小学校で「お金の使い方」を学びます。大滝氏は、その生活設計の基本となる2つの法則とおすすめ金融商品を紹介してくれました。

 1つは、小学4年生が学ぶ「70・20・10の法則」です。70と20と10を足すと100。そこで月給10万円の人の生活設計は、70%の7万円で毎月生活する、20%の2万円は毎月積み立てて貯蓄する、10%の1万円は将来のために投資するというもので、貯蓄ゼロ世帯にならないように将来の計画性を教えています。つまり、生活に必要な資金や余裕資金には目的を持たせようというのです。

 2つめは、6年生が学ぶ「お金の増やし方」の「72の法則」。大滝氏は受講生に「ぜひこれだけは覚えて下さい」と力説されました。この法則は1年複利の便利な計算式で、「8×9=72(ハック72)」と覚えておきましょう。72を8%で運用すれば9年でお金が2倍になるという法則です。手元のお金を何%の金融商品で運用すれば何年で2倍になるかというのがこの法則ですが、逆に考えれば、お金を10年で2倍にしたいとすると、72÷10=7.2%で運用していかないと2倍にならないという仕組みです。

 では、おすすめの金融商品を一つ。大滝氏は個人向け国債を「これも意外に良い商品」ということで紹介されました。「72の法則」に従えば、5年もので金利が1.5%なら、72÷1.5=48ですから、48年で2倍になります。しかし1年ものの定期預金だと、金利0.35%なら72÷0.35で、何と2倍になるのに205年もかかってしまいます。個人向け国債は年4回発行。1万円からでも購入できます。手数料もかからず、定期預金に変わる商品としておすすめというわけです。他に「旅行券の積み立てシステム」など、目的がはっきりしていると意外と良い金融商品が選べるものもあります。

 ちょっと難しいお金の話を楽しく分かりやすく講演、大滝氏のFP力が光っていました。

■第4回講座  平成19年10月17日(水) 遊学館

 基調講演 
「食と笑顔と心の持ち方」
コミュニケーションアドバイザー 神谷 信將さん

 「食と笑顔と心の持ち方」と題した基調講演の神谷信將氏は、神谷料理研究所所長で『食は楽しい職なり』を出版したり、近年では全国各地の学校などで食育についての教育講演もしたり講演会講師として、また広くコミュニケーションアドバイザーとしても活躍中です。
 「白菜が美味しい季節ですね」と語り始め、白菜や大根など野菜の美味しい食べ方を紹介し、料理は「知っている」だけでなく「やってみる」ことが大事と付け加えました。また美味しいものを食べて健康になるには体を動かすこと。その元気の素はグリコーゲン。グリコーゲンの素は炭水化物。だからご飯を食べないと体を動かすことはできないと話されました。
 ご飯は体の中で4:1の割合に備蓄されます。4は筋肉へ、1は脳です。脳にはグリコーゲンが欠かせません。1日の始まりに、朝ご飯をしっかり食べておく必要があります。

 充分健康でない人は風邪を引きやすいものです。熱が1度上がっただけで体は13%のエネルギーが奪われてしまいます。病気にならないよう免疫力をつけるにはポリノフェールと亜鉛が必要、栄養素で大切なのはビタミンです。ビタミンAは「美容と癌に勝てるビタミン」、ビタミンCは「早起きビタミン」、ビタミンEは「若さを保つビタミン」などとよく言われます。
 体と同じように心にも栄養が必要です。日頃から物事を明るく考える「陽気」を忘れずに、体を動かし人に会い、その人に声をかけること。そして立ち止まって頭を下げ「ありがとう」と、相手に華を添える言葉が言えること。人も食も、いつも旬を大切にと、食を通してのコミュニケーション論をまじえ、時折ユーモアで会場を湧かせるなごやかな講演でした。

 実践講座 
「いつまでもお口の健康を ハッピースマイルを求めて」
歯科医師 結城 和生氏

 実践講座は、歯科医師の結城和生氏が「いつまでもお口の健康を ハッピースマイルを求めて」と題し行いました。結城氏は昭和52年山形市久保田に結城歯科医院を開設、平成10年に日本ヘルスケア歯科研究会創立会員となり、現在は日本口腔衛生学会会員の他、山形市立山形第三中学校の歯科校医なども務めています。

 講演は主に虫歯や歯周病、歯磨きについて、実例をスライドで示しながら行われました。80歳で20本の歯を残そうという「8020運動」というのがあります。しかし平均は5~6本です。ハードルはかなり高く、現在の55歳位の状態を80歳まで維持しなければならなりません。虫歯で命までおとすことはないと思われがちですが、7歳の子供が風邪気味の上、初診から1ヶ月も通院しなかったために、たくさんの虫歯菌ができ心臓にまで達して亡くなってしまったという例があります。

 そんな怖いこともある虫歯はどうしてなってしまうのでしょう。エナメル質の表面にバイ菌が付いて腐食し歯が溶けます。つまり歯にリンやカルシウムがなくなる現象で、脱灰化といいます。逆に虫歯にならない人は、バイ菌がついても唾液の中和力でリンやカルシウムが歯に戻ります。これは再石灰化といいます。

 医師は患者に喫煙や間食の有無など食べ物の嗜好を聞いて、生活を変えるようにアドバイスします。間食をしなければその分再石灰化を促して、歯を健康に保つことができます。従って、唾液の効果は非常に高いものがあるというわけです。

 最近、フッ素を使った歯磨きがよく言われています。フッ素には、虫歯菌の動きを抑制させる、歯のエナメル質を強くする、唾液の効果を早める、などの効果があります。

 歯周病は喫煙が最大の危険因子です。歯肉炎と歯周炎のダブルパンチで、歯茎がメラニン沈着し黒ずみます。削ったり剥がしたり、詰めたり神経を抜いたり、歯を取ってしまったり、歯はいじればいじるほど治療が複雑になります。とにかく煙草は歯にもよくないのです。

 歯の治療は10代のうちにしておかないと、20歳で虫歯が大きくなってしまいます。結城氏は、「子どもが大きくなっても虫歯にならないよう育ってほしい。虫歯にならない子ども達をたくさんつくるのが仕事だと思っています」と講演を結びました。

■第5回講座  平成19年11月21日(水) 遊学館

基調講演
「この国のゆくえ」
作家・東京都副知事 猪瀬 直樹氏

 基調講演は、多くの著作で知られ、先頃東京都副知事になった作家の猪瀬直樹氏が「この国のゆくえ」と題し行いました。

 猪瀬氏の道路公団民営化への着手は、小泉総理大臣との交流の中で現実化していきました。それは1995年から96年に『日本国の研究』で道路公団について書いた頃で、まだ代議士だった小泉氏と「お金というのは入口と出口の関係で、両方からきちんと攻めていけば問題は変えることができる」と話し合った時でした。

 その後10年程して小泉氏は総理大臣になりました。猪瀬氏は郵政民営化研究会に講師として呼ばれた時、公約に道路公団民営化がなかったことを指摘、小泉総理を動かすこととなりました。当時、道路を200km造るためには20兆円かかると言われていました。そこで第三者を集めた推進委員会を結成し、道路を造るにはいくらかかるのか、いくら便利になるのかなどを数値化したところ、造ったらいい道路と造らなくてもいい道路とがはっきり見えてきたそうです。全国の1本1本の道路をチェックし、20兆円の投資が10兆円で済むことも分かりました。マスコミの「道路は造るなと言ったのに、なぜ造るのか」の質問に、「無駄な形でなく必要か必要でないかということで道路を見分けることが大事」と猪瀬氏は応えました。道路公団はなんと毎年国から3000億円も入っていたのです。小泉総理に「あの3000億円やめた方がいい」と進言、公団は3つの株式会社になりました。今では合わせて600億円の利益を上げ、半分を税金として国へ払っています。

 再び代議士に戻った小泉氏は「総理になった時、1年先も見えなかった」とのこと。猪瀬氏は「それが正しい。あの時、小泉さんは闘い続けた。だから周りは皆緊張の連続だった」と、郵政民営化も実現した同志のような気合いを見せて語りました。

 その他、夕張市の破綻については補助金に頼る依頼心、依存性が原因だと語るなど、才気あふれる弁舌に受講生達は息をのむ思いで聞き入っていました。

実践講座 
「世界に誇る山形の技」
菊地保寿堂代表取締役・山形カロッツェリア研究会 菊地 規泰氏

 実践講座には、山形から世界へ向けて先人の文化遺産を次の時代につなげていくことを目的に、平成15年に設立された山形カロッツェリア研究会の菊地規泰氏。山形市銅町の鋳物製造会社、菊地保寿堂を経営する、伝統技術の若き伝承者です。この日は「世界に誇る山形の技」と題し山形カロッツェリア研究会について講演しました。この研修会は企業の職人さんと専門家によるプロフェッショナル達の集団で、代表は世界的に有名なスポーツカー、イタリアのフェラーリをデザインした山形市出身の奥山清行氏です。

 カロッツェリアとはイタリア語で、大量生産ではない手作りで造る工房のこと。奥山氏は、イタリアにはフェラーリを始めグッチなどのブランドがあるように、山形にもレベルの高いモノづくりの企業がたくさんあるのになぜブランドができないのかと考えプロジェクトを立ち上げました。

 菊地氏の鋳物工場で造ったカロッツェリア製品に鋳物の急須「まゆ」があります。奥山氏からは「欧米人が見た日本式のポットの形でお茶を美味しくする急須」というアドバイスがありました。そこで菊地氏は保温性を確保する調整に半年、素材開発するのにまた半年をかけ製作、「美味しいお茶の飲める急須を造る」という当たり前なことの難しさを改めて痛感したそうです。金型は山辺町、取っ手は上山市、火に強い塗りは山形市の鋳物専門の塗装店など地域の職人達による連携で造られました。

 地域に根ざして時代が変わっても変わらない人間の感性を大事にして、人々がほんとうにほしいモノを造る、それがカロッツェリアのモノづくり。一昨年、パリの展示会メゾン・エ・オブジェでは、家具・インテリア製品のブランド「山形工房」の展示品が最高賞を受賞。京都や金沢をしのいで、山形の文化が雅びの文化とは違う質の高さを世界にアピールしました。

 菊地氏は最後に、「伝承の技を新しい形で次の時代の子ども達に伝えていきたい」と会場に呼び掛け、講演を終えました。

■第6回講座  平成19年12月20日(木) 遊学館

 基調講演 
「輝きの追求」
ブラッシュアップ・コンサルタント 安達 香代子さん

 「輝きの追求」と題した基調講演の安達香代子氏は、フリーアナウンサーから現在、マナースクールやウォーキングスクールを主宰し、1994年から95年のミス日本コンテスト全国大会ではプロデューサーを務められたブラッシュアップ・コンサルタントです。各企業の非常勤講師も務めるなど、“美の指南役”として活躍中です。

 安達氏は若い20代後半、若返り法というテーマで講演を頼まれました。そこで、テーマに悩んだ安達氏が、ある年輩の方に「なぜ、そんなに若いのか。若返りの方法は何ですか」と聞くと、「若返るという言葉がマイナス。若さを保つと思って下さい」という答えだったそうです。またストレスをためないためには、(1)楽しいことを思いっきりやること (2)派手な色を一つだけ身に付けること。バッグの中にしのばせてもよいし下着でもよい (3)異性を意識すること、の3つのアドバイスもありました。

 そこで、安達氏は「輝きの追求」を始めました。最初に、めざすものを強く思うことで目的に近づくことができるというイメージ・コントロールを持つことです。その「輝きの追求」には7つのルールがあります。(1)表情=笑顔よりも目の動きや輝きを意識すること。(2)視線=自分の目と胸を全体的に相手に送り出すこと。(3)姿勢=意識的な身のこなしや動作が言葉の足りなさをサポートしてくれること。(4)対人関係=人との距離感を感じること。(5)声=声にメリハリを付けて話す内容を伝えること。(6)メイク=見て素敵だと思う色と付けて映える色とはまったく別と心得ること。(7)服装=柄物同士は着ない。無地は柄物の中の1色から選ぶこと。また男性のスーツは欧米のワイシャツは下着という考え方のマナーに従うこと、です。

 安達氏は「ファッション感覚を磨くには何事にもプラス志向が大切です。若い人を振り向かせるくらいの気持ちでおしゃれ心を磨いて下さい。その仲人役をこれからもいっぱいしていきたい」と結びました。最後に、受講生に歩き方と姿勢の作り方の実技指導をし講演を終えました。

実践講座
「花ごころ」
小原流山形支部支部長・山形県華道文化協会副会長 湯村 春奥氏

 実践講座は、小原流山形支部支部長で山形県華道文化協会副会長の湯村春奥氏が「花ごころ」と題し行いました。生け花という伝統芸術がどのように伝わってきたかをテーマに話されました。

 昔、大きな木や石は「依代」と言って神様の宿る所と考えられ、野の草花を捧げ御利益を祈りました。それが生け花の原点です。平安時代、寝殿造りの部屋の中は暗く、外の軒先で愛でる「釣り花」や庭石に飾る「前栽合(ぜんざいあわせ)」などの習慣がありました。最古の書として『花王以来の花伝書』が残っています。

 花が室内で飾られるようになったのは、書院造りが建つ室町時代でした。中国に渡った僧侶達が持ち帰った珍しい器や置物の目利きをする者が宮中に現れ、生け花が行われました。当時の『君台観左右帳記』という書物などで、生け花は出陣の時や節句、おめでたい晴れの日などの「固有のものにしなければいけない」と書かれ様式化されていきました。

 桃山時代には池坊二代専好によって「立て花」が確立され、一方、僧侶達は暴れ枝を使った豪放な生け花を造りました。江戸時代には、巨大な飾り方が公家や武家を通じて町人の間にも広まりました。次々と流派ができ、正三角形でなく不等辺三角形におさまる生け花がよいとされるようになり、様々な形に花が生けられるようになりました。

 そもそも生け花は男性社会のものでした。女性に受け入れられるのは明治時代で良家の子女だけでした。多くの女性が生け花をしたのは大正時代。良妻賢母になるための習い事となり学校の授業にも取り入れられました。そして女性達だけのもののようになったのは昭和35~45年の頃。家元達が戦争未亡人を救おうと盛んにやらせたのです。また鹿鳴館を造った英国人ジョサイア・コンドルによって海外に紹介されたり、生け花を楽しむ外国女性も現れたりもしました。こうして生け花は今日まで受け継がれ、伝統芸術となりました。

 講演の終盤、湯村氏は、他人の家に入り、花が生けてあるのを見つけた時は「結構なお点前ですね。季節の先取りですねと家人をほめて下さい」と結び、その後体験実習が行われました。

■第7回講座  平成20年1月18日(金) 遊学館

基調講演 
「腰の低い人、頭の高い人」
芸能リポーター 梨元 勝氏

 最終回は、芸能リポーターの梨元勝氏が「腰の低い人、頭の高い人」と題し基調講演を行いました。講談社『ヤングレディ』の取材記者、テレビ朝日「アフタヌーンショー」のリポーターなどを皮切りに、1980年に株式会社オフィス梨元を設立し数多くのメディアで活躍中です。『ゴシップとっておきの話』や『スミマセンあなただってやせられます』など著書も多数あります。
 山形には前日に到着、翌朝日課のウォーキングをホテルから駅前大通りをまっすぐ国道13号線バイパス前まで往復約1時間したとのこと。

 盲腸の手術後、太りすぎを医師から注意されカロリー計算で90Kgから70kgにダイエット。しかしその後リバウンド。たまたま奥様が始めたウォーキングに刺激され自分も。以来、ウォーキングは取材旅行先でも欠かせないものとなりました。

 梨元氏は芸能リポーター歴41年になります。芸能人という人間の生き様を追いかけ伝え続けてきました。芸能人の意外な姿を見ることもしばしば。まるで少し前の芸能記事を紐解くような、大物からアイドルまでの話題が次から次へと飛び出しました。

 相手を取材するだけでなく、時にはベテラン女優から逆に他の芸能人のことを教えてほしいと聞かれたりもしました。それを教えたところ、次からは彼女を他の記者仲間よりも先の一番に取材できたと言います。

 そんな芸能界では「誰にも言わないで」という“ここだけの話”は3日と持ちません。ロケの天気待ち、リハーサルの出番待ち、コマーシャルの合間の時などは噂話で花が咲いているそうです。一番初めに話した人に戻ってくるという珍事もあるとか。

 講演の最後に梨元氏は、「今日聞いた話はここだけの話なので誰にも言わないように」と言って壇上を後にしました。会場は爆笑に包まれ、第17期の仙人講座はこの日をもってすべての講座が終了しました。