仙人講座/第20期 (平成22年度)

■第1回講座  平成22年6月24日 遊学館

第1部
「オシャレは人生そのものである!」
ファッション・エッセイスト フランソワーズ・モレシャンさん

 「オシャレは人生そのものである!」と題し講演を行ったフランソワーズ・モレシャン氏は、ファッション・エッセイスト、ファッションアドバイザーとしてご活躍中です。

 オシャレという意味はとても広く、駄洒落、話の仕方、礼儀、思いやり、環境の問題を考えるのも全てオシャレ。不正的なこと、悪いことをしている人、それはオシャレではない。つまり、オシャレは人生そのものです。

 初めて日本に来たのが1958年、当時の日本人には威厳がありました。大変な時代だったのに大変という言葉を聞いたことがなかった。6年経てフランスへ帰り、そしてアメリカへ行った時、流れている音楽、洋菓子、電球を見て日本のようだと感じ、戦後にアメリカの文化が日本に入ってしまったことを知りました。フランスではそれは100%ありません。フランスは戦争であちこちの国に何百回も負けているけれど、自分の文化を大事にし、それぞれの文化全てを大事にする。
 自分の文化、伝統は守り生かすべきです。そういう哲学、イデオロギーを持って、オシャレをすれば良いのです。アイデンティティを持っていれば、何を着ても大丈夫。何故なら洋服に着せられるのではなく着こなすことができるからです。

 最後に「オシャレは文化的・社会的な考え方を持ち、流行を塩・コショウにすると良いと思う」とモレシャンさん独特のユニークな表現で講演を締めくくられました。

 第2部
「遊学館開館20周年記念コンサート」
山形交響楽団弦楽四重奏

 山形交響楽団弦楽四重奏の生演奏をお聴きしました。モーツァルトやバッハなど有名作家の曲から、「川の流れのように」「おくりびと」など馴染みの深い曲まで、わかりやすい解説と素晴らしい音色に酔いしれる贅沢な一時となりました。

第2回講座  平成22年7月16日(金) 遊学館

第1部 
「言葉と出会う、人と出会う」
フリーアナウンサー 遠藤 泰子さん

 「言葉と出会う、人と出会う」と題し講演を行った遠藤泰子氏は、フリーアナウンサーとしてラジオなどでご活躍中です。

 アナウンサーといっても、スポーツ・報道・バラエティなど、失敗しながらこの世界で生きてきました。人生山あり谷ありとよく言われますが、私もそうです。25年前、苦労してとった運転免許証が届いたその日、飲酒運転で自動車事故を起こしてしまいました。仕事も全てクビ、永六輔さんの番組「誰かとどこかで」だけ謹慎処分でした。死ぬ気になれば何だってと言いますが、実際の立場になるとなかなか。死ぬしかないかと初めて思いました。その時、永六輔さんと放送関係者からの2通の手紙、言葉に命を助けてもらいました。マイナスイメージはそう簡単に消えるものではないけれど、ラジオの視聴者から「声が昔と比べて温かくなりました」と葉書をいただいた時は嬉しかった。

 『言葉』を語源辞典で調べてみると、「言」は「心」という字が転じたものと「口」からなるのだそうです。自然に心が口から出ているということ。温かい心で話せば温かい言葉になる。そう覚えていただくと話す時にちょっと変わると思います。

 最後に、坂村真民さんの詩『二度とない人生だから』を朗読され「二度とない人生、私も皆さんも心のアンテナがいつもピカピカにできているよう、いろんなものに興味を持ってこれからも生きていければ最高ですね。」と会場に呼びかけ、講演を締めくくられました。

 第2部
「温泉で楽しく健康づくり」
日本温泉気候物理医学会認定温泉療法専門医 片桐 進氏
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 「温泉で楽しく健康づくり」と題し講演を行った片桐進氏は、長年に渡り温泉療養の研究をなさり、現在も医師としてご活躍中です。

 日本人は入浴が大好きです。最古の記録は『日本書紀』で、その習慣を植付けたのは仏教伝来による寺院の浴堂でした。入浴の目的は、宗教上の禊のため、保健衛生のため、娯楽のためです。平安時代には月に4~5回の沐浴と小浴で、基本は水での行水。江戸時代には湯船になり十日に1度程度の入浴。第二次世界大戦後は一週間に1回位もらい湯などで「垢落とし」をする時代。その後、裕福になり「マイバス」、温泉地を巡る「湯浴みレジャー」の時代となります。

 山形県には160ヶ所の温泉地が存在しています。温泉地療養の効果は、温泉水も含めた自然の懐に抱かれるやすらぎ感、規則正しい生活や生体リズムの正常化、地域文化との触れ合いなどで、温泉地は心と身体の回復・再生の場なのです。お風呂や環境からの刺激が生体機能調節系に揺さぶりをかけ、自律神経が揺さぶられ、日常生活で歪んだ生体機能を一旦解体状態にし、続いて生体に備わっている回復力・再生力で除々に調和状態に調整されていくのです。

 最後に、「私達は農業の民族。先輩達は一生懸命働いて、温泉を利用して回復し、さらにもう一回やるべと、自然に抱かれながら、そういう風にやっていた。月山の紅葉や紅花など、動的な美しさではなく静的な美しさを、山形は持っています。」と、講演を締めくくられました。

■第3回講座  平成22年8月26日(木) 遊学館

 第1部 
「笑いに勝る良薬なし」
真打落語家  瀧川 鯉昇氏

 「笑いに勝る良薬なし」と題し講演を行った瀧川鯉昇氏は、落語では多数の受賞歴をお持ちで、近年では山形で撮影された映画へのご出演など、多方面でご活躍中です。

 近年、お医者様が、笑っていると免疫力などが高まることを発表なさっています。男性が笑わないそうで、女性は素直ですからよくお笑いいただける。面白くない時には、ちょっと角度を変えて見ると腹も立たなくなります。怒るというのは寿命を縮めることだそうで、縮まった寿命がどこへ行くのかというと怒らせた人に寿命を持っていかれるのですって。落語界では相手が怒っている時の謝り方を教えられます。とにかく頭を深々と下げる、言い訳をしないのが怒りを一番早く静める方法だと教わりました。逆に笑っていられると何となく長生きできるのではないかと、そんなことが言われるようになり、我々の業界に少し陽の当たる時代が来たようです。笑うと皺が増えると気にする方がいるのですが、皺は人生そのもの。皺には横皺と縦皺があり、横皺は幸福皺。落語界ではちょうちん皺と言われています。縦皺は苦労皺。眉間のところに縦に出る皺で落語界ではからかさ皺と言われ、縦皺が増えてきたら悩み事や心配事があるということなので、縦皺は注意します。面白い話も面白く耳に届かなくなって苦労皺ができているのだそうです。ですから横皺が増えている時というのは健康の証だそうです。

 最後に、「今日笑えるかどうかというのが健康のバロメーターです。休憩後、健康状態を測る落語の時間です。」と、終始笑いの絶えない講演を締めくくられました。

第2部 
「仙人講座20回記念寄席」  
瀧川鯉斗(二つ目) 瀧川鯉昇(真打ち)

 瀧川鯉昇師匠とお弟子の鯉斗氏による生の落語をお聴きしました。鯉斗氏の若々しくフレッシュな『新聞記事』、鯉昇師匠の巧みで鮮やかな『佃祭』に、会場は大いに泣き、笑い、健康で幸せな一時となりました。

■第4回講座  平成22年9月24日(金) 遊学館

 第1部 
「偉大な自然の実感が地球を救済する」
東京大学名誉教授 月尾 嘉男氏

 「偉大な自然の実感が地球を救済する」と題し講演を行った月尾嘉男氏は、東京大学名誉教授で、著書を多数執筆していらっしゃる他、テレビやラジオなどでご活躍中です。

 極端な話ですが、環境問題とは人間が地球に登場し増えすぎたことが原因で起こった問題です。人間が亡びれば環境問題は解決しますが、それはできないことなので使うエネルギーや資源を減らそうと、努力しています。地球は非常に恵まれた条件にある奇跡的な星です。しかし、人間の先祖が登場してから1万年間に1000倍に増え、使うエネルギーや資源が100倍になりました。生物世界はピラミッド。人間はピラミッドの頂上に位置していますが、今、途中の石がどんどん抜け、人間の足元が突然崩れてしまうということが起こりうることを警告しています。エコロジカルフットプリント(環境・足跡)は1人の人間が生きるためにどの位自然を壊せばいいのかを表現しています。世界全体では平均で2.7ha/人ですが、地球の陸と海で使える所は2.1ha/人しかなく、地球が1.3個ないと生活できないまでに人間が増えてしまっています。しかしこれも、貧しい人々の命の犠牲の上でその不足分が埋まっている状態なのです。私達が環境問題を考えるのに、先住民族と言われる人々が守ってきた文化の中に、自然崇拝や動物崇拝、伝説の尊重など非常に役に立つ知恵があります。私達は何のために生きているのか、やはり幸福を追い求めているということですが、もう一度違う視点から見てみましょう。

 最後に、「貧しい人々が生きているのは未来を信じているからだが、金持ちが自分勝手で未来や地球を壊していると、アマゾン先住民族の人が国連会議で発表していることをお知らせして終わります。」と、講演を締めくくられました。

 第2部 
「和を楽しむとびきりの毎日」
エッセイスト・イラストレーター きくち いまさん
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「和を楽しむとびきりの毎日」と題し講演を行ったきくちいま氏は、ほぼ1年中着物で過ごされ、フリーのエッセイスト・イラストレーターとして、3児の母として、ご活躍中です。

 昔からあった着物の形や柄が途絶えないように25歳から着物を毎日着るようにしています。今は着物の形は決まっていますが、江戸時代の前期と後期では全く形が違いました。江戸前期は襟をぬかずに、帯は紐で下にズルズル引きずって着ていました。帯を後ろに結ぶのが流行して主流になっていき、皆さんにお馴染みの姿、江戸後期は文化・文政時代の衣装が、現在の時代劇に設定されているようです。「江戸しぐさ」というものがあります。「年寄りしぐさ」「歩き方」「子供への教え」「男しぐさ・女しぐさ」などで、ユーモアのある心くばりをする。玄関の靴を脱ぐ場所は、女性は近くに男性は遠くに脱ぐ。上下平等で上下に関係なく先に挨拶する。全てに共通するのは他人のため自分のため、お互い様という気持ちで、暮らしていくのに何が必要かということが大事にされていました。当時は太陽中心の暮らしで、明るくなれば起きて暗くなれば寝るという自然の恵みの中で暮らしていました。紙は何度もリサイクルし、紙のリサイクル業者だけでもとてもたくさんいたそうです。稲藁で草鞋を作り、履き終わり捨てたものも子供が拾い集めて山積みにしておき、畑の肥やしにする。徹底してリサイクルしています。最後は地球の中に消えていく。「もったいない」という気持ちをもっと大事に、次世代に伝えるため、なるべく最後に消えるもの、太陽がつくったものを買うようにしましょう。今あるものを生かして楽しんでもらいたいと思います。

 最後に、風呂敷エコバックの作り方実演とお手製ポチ袋のプレゼントがあり、着物姿での溌溂とした講演に会場が魅了されました。

■第5回講座  平成22年10月21日(木) 遊学館

第1部 
「今、私たちができることはなにか」
ジャーナリスト 櫻井 よしこさん

 「今、私たちが出来ることはなにか」と題し講演を行った櫻井よしこ氏は、ジャーナリストとして、著書を多数執筆していらっしゃる他、TVなどでもご活躍中です。

 今、中国は大きな問題を引き起こしています。尖閣諸島は、明治時代から二百数十名が暮らして漁業をしており、日本固有の領土だと判りますが、国連が尖閣諸島や東シナ海に中東に匹敵する膨大な天然資源が埋蔵されている可能性があるという調査結果を出してから、中国が突然自分のものだと言い始めました。今年9月、尖閣諸島で中国人の漁船が日本の領海を侵犯し海上保安庁の船に体当たりをした事件で、中国はこの問題を領土・領海に関する国家の主権の問題と捉えたのに対し、日本は一つの刑事事件として捉えた。現在の日本政府はどうやって対策を立てたらよいか判らず、目をつぶって無いことにしてしまった。国家とは、その国の生き残りを担保するために軍事力と外交力と政治力をバランス良く持っていなければ国家ではない。社会や国際社会の秩序が壊れたところに出かけて行き、秩序を取り戻すのが軍だが、日本の自衛隊は軍ではない。

 日本は、国際社会が公正や真偽と関係のないところで動いていることに気付き、憲法改正の手続きを取らなければならない。日本はこの根本から変わっていかないと、どんな手先のことをしても、本当の意味での問題解決はできないし、日本国としての立ち直りもできないでしょう。

 最後に、「ぜひ皆で一緒になってこの国を良くしていくために努力をしましょう。」と、会場に呼びかけ、講演を締めくくられました。

 第2部 
「庄内映画村設立経緯と経済効果」
庄内映画村株式会社代表取締役社長 宇生 雅明さん
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 「庄内映画村設立経緯と経済効果」と題し講演を行った宇生雅明氏は、「蝉しぐれ」や「おくりびと」など多くの映画の庄内プロデュースを担当し、庄内映画村株式会社を設立なさるなど、ご活躍中です。

 話は一冊の脚本「蝉しぐれ」から始まります。脚本家で映画監督の黒土三男さんに「蝉しぐれ」映画化のお金集めができるHPを作ってほしいと頼まれ、藤沢周平の『蝉しぐれ』を読んで感動し、絶対につくりたいと本気になりました。酒井家18代当主との運命的な出会いから、4人を経て、電通が中心となり6億円で映画制作が決定しました。松ヶ岡で「蝉しぐれ」ののろしをあげるため蝉しぐれ資料館をつくりました。松ヶ岡は日本で一番大きい蚕室で史跡です。当時10倍位の人が集まるようになっていました。地域の皆さんから支援していただいたお返しをと思い、さらに他の映画を呼ぶことを思いつきました。映画村を法人格にして庄内映画村株式会社がスタート。「おくりびと」は「スキヤキウエスタン ジャンゴ」と「ICHI」のおまけの映画でしたが、アカデミー賞を受賞。世の中何が起こるか分かりません。映画の経済効果ですが、映画ロケでは平均60名位の人達が宿泊・飲食・交通等の消費をします。また、平成16年から平成22年で約30万人が映画村を訪れていて、それだけで経済効果は60億円を超えます。映画村という物語はまだ始まったばかりですが、考えられる全てにチャレンジしていきたい。

 最後に、「映画「デンデラ」のエキストラに元気なおばあちゃんをオーデション募集します。この会場には素晴しいおばあちゃんがいっぱいいらっしゃいますので是非お力添えを。」と、会場に呼びかけ講演を締めくくられました。

■第6回講座  平成22年11月24日(水) 遊学館

 第1部 
「夢を追いかけて~ピアニカと私~」
名古屋音楽大学客員教授 松田 昌氏

 「夢を追いかけて~ピアニカと私~」と題し講演を行った松田昌氏は、キーボード・アーティスト、作曲家として、国内外での演奏、作曲活動のほか、ピアニカを吹く面白大学教授として注目を集めています。

 中学2年生の時にベートーベンになりたいとピアノを始め、芸大2年生の時にエレクトーンを始め、30年以上になります。ピアニカとの出会いは30歳の頃、コンサートの打上げ会場にピアニカしか鍵盤楽器がなく、初めて弾きました。最初の時からピアノにはない表現ができて面白いと思いました。少しずつピアニカの曲を演奏するようになり、59歳の頃、日本のトップミュージシャン達と一緒にピアニカでアルバム録音をしていて、ピアニカにはまだ自分の知らない可能性があると気付きました。練習すれば上手くなる。他人がやっていないことができるようになる。いろいろ工夫をして、5年後には仕事として演奏するようになりました。ピアニカは一般に認識されていない可能性のある楽器です。同時にほとんどの子どもたちが人生で最初に出会う楽器です。その出会いは大切なもの。小学校でも「夢を持って生きよう」「工夫しよう」の2つをテーマにコンサートをしています。とにかく軽い、安い。もし、病気で寝たきりになっても十分にピアニカの演奏は可能です。子どもから大人まですべての年代にピアニカが普及すればいい。ベートーベンへの夢から始まり、60歳を過ぎ、自分自身この楽器の可能性をこれからも追求したいと思っています。

 付け髭姿でピアニカ演奏をしながらの客席登場に始まり、ピアニカとは思えない多彩な演奏、頭や寝ころんでのユニークな演奏を織り交ぜながらの楽しい講演に、会場中が魅了されました。

第2部 
「山形の酒 最先端のはなし」
山形県工業技術センター研究主幹兼酒類研究科長 小関 敏彦氏
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 「山形の酒 最先端のはなし」と題し講演を行った小関敏彦氏は、日本文化を背負い表現するような清酒を造っていきたいと、酒に関するさまざまな研究開発、分析協力などでご活躍中です。

 山形の蔵元は庄内・最上・村山・置賜それぞれに15~16ずつほぼ均等にあります。鳥海山、月山、蔵王山、吾妻山、飯豊山。雪解け水が地下にもぐり個性豊かな水になります。お酒の原料「水」は山系の個性を色濃く反映し、酒処イコール雪国という構図が全国的に広がっています。山形県は高級酒の酒処です。大きなタンクで大量にお酒を売る県もありますが、山形県は小さいタンクで造っている。それが幸いし、作品型の日本酒が求められる昨今の少量少生産の販売型に合ってきたのです。お酒の原料「米」は酒造好適米で、山形県は酒造好適米の育種が盛んな県です。『DEWA33』という原材料すべてが山形県オリジナルの酒という画期的で先進的な企画も進んでいます。また、山形県には有名な杜氏がいないのですが、それも幸いしています。山形県の杜氏は平均年齢47~48歳、地元杜氏の弱点を克服するため県・県酒造組合などが技術力向上に30年頑張って技術者集団をつくってきました。酒は産地、山形県を売り出さないと山形の日本酒も売れません。一般消費者の好感度統計では山形県は3位、有力酒販店の好感度は山形県が1位。消費者まで行くには営業活動を続けていかないと名酒県、高級酒の産地として認めてもらえないのです。

 最後に、「地元の方の応援がないとだめで、応援というのは県産酒を飲んでもらうことです。今後ともご理解とご支援をいただくことを約束いただきながら講演を終わりたいと思います」と会場に呼びかけ、講演を締めくくられました。

■第7回講座  平成22年12月15日(水) 遊学館

第1部
「一生勉強 一生青春 ~父 相田みつをを語る~」
相田みつお美術館館長 相田 一人氏

 「一生勉強 一生青春 ~父 相田みつをを語る~」と題し講演を行った相田一人氏は、相田みつを氏の長男として、相田みつを美術館の館長を務めていらっしゃる傍ら、著書を執筆なさるなどご活躍中です。

 父は書家・詩人で60歳まで無名でした。60歳の時に『にんげんだもの』を出版し、ロングセラーとなりました。世の中に知られる時代が来るかもしれないと予感を持った頃、父は67歳で突然亡くなりました。父は17歳から書を始め23歳で全国コンクール一位になりますが、書に対して厳しい人間でした。プロとしてうまい文字を書いても感動はしてくれないと、30代中頃から自分独自の世界、自分の波乱万丈の体験から言葉を紡ぐようになります。つまずいたり転んだりする人生をどう生きていけばよいのかという視点から書かれているものが多いです。父が息子に伝えたかったものは美しいものに素直に感動する心でした。その心は、逆に言えば戦争や犯罪、いじめが間違っているとわかる心。今の日本ではこういうことが希薄になってきました。子どもの感動する心を養うには、親がまず感動するということが父の明快な答えです。父の全作品を貫くキーワードは「いのちの根」。どんな生き方でもいのちの根が深くなる生き方をしたいと言っていました。「たえる」に代わり「切れる」という言葉が最近聞かれます。切れたらいのちの根は絶対に深くならず、たえることでしかいのちの根は深くならないものだろうと思います。

 最後に「「うつくしいものを美しいと思えるあなたのこころがうつくしい」短い言葉ですけれども深い思いが込められています。記憶に留めていただけるならうれしく存じます。」と講演を締めくくられました。